こんにちは、洪蓉舎の中野です。

「私、イギリスに行ってくる」

Koyoさんが、突然言い出したのは、
確か一昨年のことだったと思います。
ちょうど、パリで同時多発テロが
起きた直後です。

何をしに出かけたのかというと
本人もよくわからなかったようです。
ついでにノンデュアリティー(非二元論)の
トニー・パーソンズさんや
ルパート・スパイラにも会って
話をしてきました。

英語が話せないのにどうやって?
と思うかもしれませんが、
当時、イギリスにはKoyoさんの
日本人の友人がたまたま住んでいたので、
彼女が通訳してくれたのでした。

そしてコトは起こりました。
大英博物館へ、その友人と出かけた時です。

入場口はテロ対策のため、
厳しいチェック体制がしかれていました。
そこでは、空港の税関のように一人一人
荷物とボディーのチェックを受けます。

何人たりともチェックなしでは
入れないのです。しかし、英語も喋れず
ルールも知らないKoyoさん。

普通にスタスタ歩いて
検問をすり抜けてしまったのです。
つまり、チェックを受けずに入って
しまいました。

空港の税関を素通りできないのと
同じように、その検問は素通り
できないはずなのです。
一緒にいた友人がとても驚いていました。

以来、Koyoさんは
デフォルト(標準)ミラクルと呼ばれています。

Koyoさんの周りではミラクルが起きやすい。
もちろんワークショップでも。

ただし、ここでひとつ問題が……。

Koyoさんのワークショップは
内容の説明ができない。なぜか?

ワークショップの内容を説明し始めた時点で、
あなた(自我)が目的を
探し初めてしまうから。

例えば……

「運を引き寄せる○○の法則」
「お金に愛される○○な方法」
「自然と売上げがあがる経営者の○○」

などと書けば、あなたは
「こうなりたいと」期待や目的を
持ち始めます。それはワークショプで
Koyoさんがやっていることから
離れていってしまうのです。

究極のジレンマです。
それを目的とした途端に、
ワークの本質からずれていく……。

逆に、自分が求めていることに気づき、
そして更には起こっていることの
メカニズムに気づき、何かが始まる。

まあ、そもそも即興で進んでいくので、
予めこういうことをやりますと
内容を伝えることができないのも事実です。

Koyoさんのワークショップは
いわば皆既日食みたいなものです。

????

太陽と月と地球が一直線になるあれですね。
でも、皆既日食を生で体験したことが
ある人は、ほとんどいませんよね?

私は、2002年オーストラリアの
南の地の果てで、
この皆既日食を体験しました。

そして、
人生最大級の衝撃を受けることに
になったのです。

正直体験するまでは、
どれだけ友人が「すごい!」言っても、
「たかが日食でしょ?」くらいにしか
思っていませんでした。

日食は、太陽が月によって静かにけけてゆき、
最後の音もなく完全に重なります。
その間、数分間におよびました。

でも、体験としては嵐が体の中を
ゴーーーっと突き抜けているような
感じでした。

ほらね、全く感動が伝わりませんよね。

それは、言葉では到底
伝えることができない体験です。

そう、世の中には言葉では伝えきれない
体験があります。

だからいっそ、
Koyoさんのワークショップも
「普通のワークショップで
あってくれれば案内も楽だったのに」
と思います。

「守、破、離」と言いますか、
元々のベースとなる吉福ワークから離れ
独自の展開を始めています。

最近の彼女のワークショップは、
「体験しないとわからない度」が
更にましているようです。

例えば……

昨年、初めてマウイ島で開催したワークショップ。
ここには、10名ほどの参加者が
集まりました。

そして今年も2週間ほど前に、
マウイワークショップの案内を告知しました。
しかし、既にキャンセル待ちとなっています。

今回の参加者は、
昨年参加した方々が大半と、
その参加した方々から体験を
伝え聞いた方達です。

そして、今回5月ゴールデンウィークの
インプロワークショップのご案内を
お知らせすることとなりました。
(概要は最後に)

以下、Koyoさんからのメッセージを
お伝え致します。

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周囲の人たちにとっては、
彼女は一見、これまでと同じように単に
普通の生活を送っているだけにしか
見えないかもしれません。

深刻さがなくなっているだとか、
多少の変化は見受けられるものの、
いままで通りであるように見えるでしょう。

しかし、彼女にとっては、
《わたし》は存在せず、
欠如感や分断されて
いるような感覚がなく、
間違ったストーリーに、
もはやしがみつくこともありません。

「《わたし》が早起きをする」の
《わたし》が不在のいま、
身体が重く、起き上がらせることが
苦痛だったかつての朝の寝起きは消え去り、
ただ朝の目覚め(未知なる冒険始まり)が
起こるだけとなりました。
幼い子どもの頃のあの朝の目覚めです。

「《わたし》が、
家族の為に家事をやるのだ」の
《わたし》が不在のいま、
煩わしかった家事も、彼女の身体が自然と
テキパキとやってしまうのだし、
仕事や何もかもが、同様に、
それは軽妙な生命のダンスなのです。

「《わたし》がしてやったのだ!」と、
いつもいつも、《わたし》は手柄を我がものに
してきたことがすっかり暴かれたいま、
《わたし》のコントロールなしに、
「勝手に対応していく」が起こるだけです。

あたかも、努力している様に
見えることもあるでしょう。
しかし、その努力も勝手に起きているので、
以前のようなエネルギーの消耗はありません。

『《わたし》がやってます!』観が
落ちてしまったゆえに、「してあげた」などの
恩ぎせがましい考えが浮かぶことは無く、
与えたものに紐をつけることもなくなりました。

当然他者との関係性は、
スッキリしたものになります。
更に言うと他者を必要としなくなります。
必要なのでは無い けれど愛おしく、
一層相手を大切にするようになります。

「無償の愛」とかいう言葉があるけれど、
愛の前にわざわざ「無償の」をくっつけて
しまうなんて、本来有償なものとでも考えてる
のだろうか?と、そんな考えがふと
浮かびました。余談です。もとい、

所有の概念は、個人に所属するものです。
ここにそれは、湧きようが無く、
ここにあるのは制限の無い自由だけです。
一瞬一瞬が、何でも起こり得る冒険の連続です。

彼女がここで言う制限の無い自由とは、
彼女がそれまで考えていた
「自由とはこういうものだ」
との説明とはまったく違うものでした。

彼女はこの発見(正確には再発見です)の後、
それまで問題であったものが
問題ではなくなってしまいました。

さて、それで、一体何が言いたいのかといいますと、

あなたが、今まで信じて疑わなかった
世界観が間違っていた可能性があると、
私は伝えたいのだと思います。

あなたが鵜呑みにしてきた考えが、
実際のところ本当なのかどうか検証してみる
価値があるのではないかと伝えたいのだと思います。

別に新しい大発見の何かがあるわけでも
何でもありません。既にあなたが本当は知っているのに
見落としていることを、ワークの中で、
私はただ指し示していくだけです。

ゴールデンウィーク、
皆さまとこれをシェアできますことを
楽しみにお待ち申し上げております。

Koyo

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【ワークショップ概要】
日 程:2018年5月3日(木・祝日)~ 6日(日)
※3〜4日は祝日となります
定 員:20名
場 所:千葉県南房総市(参加者に別途お知らせいたします)
参加費:81,000円

お申込みの後、お振込先をお知らせ致します。

申込はこちらから。
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